弥生が丘の紹介
弥生が丘は三田市の南部に位置するフラワータウンの一角にあり、1,6丁目に高層マンション、2〜5丁目は戸建て住宅となっており、1,2,5丁目には商業施設、各種医院、郵便局、美容院、喫茶店、塾等のある街です。
(フラワータウンは1973年(昭和48年)11月に起工式、まちびらきは1982年(昭和57年)に行われました)
弥生が丘の人口は2016年(平成28年)4月現在で1,702世帯4,392名。
地域には敷地面積がおよそ19ヘクタールの広大な深田総合公園があり、公園の西側には遊具、中央には芝生広場がありピクニックが楽しめます。春になると桜が咲きお花見ができます。
公園には兵庫県立人と自然の博物館が隣接しており、「人と自然の共生」をテーマとした展示や様々なイベントやワークショップが行われています。
弥生が丘自治会の紹介
弥生が丘自治会は
1990年(平成2年) 7月 21日・・・3丁目
1990年(平成2年) 10月 20日・・・2丁目
1991年(平成3年) 4月 21日・・・4丁目
1993年(平成5年) 10月 24日・・・1丁目
1995年(平成7年) 5月 21日・・・5丁目
1996年(平成8年) 9月 21日・・・6丁目
と各丁目ごとに設立されましたが、2008年(平成20年)6月に1丁目〜6丁目までの連合自治会となり現在に至ります。
2016年(平成28年)4月現在での自治会加入率は約70%です。
○会費:300円/月
○班は各丁目内15〜20戸で構成され、班内輪番で班長を互選(任期は1年)。班長は自治会内の部会に属し活動します。
各丁目ごとに班長より地区長・副地区長を選出(任期は1年)。
○会長、副会長、地区長と総務からなる『運営理事会』を毎月1回開催し、自治会の各種事案を協議・決議しています。
活動情報はこちらからご確認いただけます。
弥生コミュニティセンターの紹介
弥生が丘自治会の活動拠点として存在するのが、弥生が丘コミュニティセンターです。
コミュニティセンターは1990年(平成2年)9月に建てられ、2004年(平成16年)6月・2011年(平成23年)6月に増改築を行い、現在は大小の会議室、調理室、多目的室、サロンの部屋があり、地域団体や登録サークルが使用できます。
サロンは自治会員であれば無料でお使いいただける日時があります。こちらでご確認ください。(但しサークル活動が優先されます)
コミュニティセンター利用方法はこちらでご確認ください。
所在地 | |
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住所:〒669-1546 兵庫県三田市弥生が丘2丁目21 TEL:079-562-0434 E-mail:ya54278@xa3.so-net.ne.jp 休館日:日曜日、祝日 アクセス:神戸電鉄公園都市線フラワータウン駅(徒歩20分) 神姫バス『弥生が丘2丁目』もしくは『弥生小学校前』(徒歩5分) 駐車場:約10台 |
兵庫県三田市の紹介
三田市のキャラクター
【キッピー・ハッピー・チャッピー】
三田市は、兵庫県の南東部に位置し、神戸市の市街地より六甲山系を越えて北へ約25km、大阪市より北西へ約35kmの圏域にあります。
北は篠山市、東は宝塚市、猪名川町、南は神戸市、西は加東市、三木市に接しています。
豊かな環境と穏やかな気候に恵まれたこの地に人々が暮らし始めた歴史は、はるか数万年前の旧石器時代にまでさかのぼります。
奈良時代には現在の屋敷町周辺に、のちの金心寺につながる寺院が建立され、門前には「まち」も形成されたと伝えられています。
また南北朝時代の記録には「三田城」の名称がみえ、このころまでには「三田」の地名や拠点となる城郭がこの地に成立していたと考えられています。
戦国時代以降の三田は、城郭を拠点とする政治都市としてのみならず、周辺の豊かな農村地域から供給される米や材木などの集散地として、
流通・経済の中心としても発展してきました。江戸時代には三田藩九鬼氏および麻田藩青木氏の支配となり、三田の町は三田藩3万6千石の拠点として大いに繁栄します。
さらに明治以降は郡役所の設置や鉄道の開通などにより、当時の有馬郡の中心地としてより一層の発展をとげています。
その後、1956年(昭和31年)に藍村と本庄村が合併して相野町が成立、次いで、三田町、三輪町、広野村、小野村、高平村が合併して三田町が成立し、さらに1957年(昭和32年)に三田町が相野町を編入したのち、1958年(昭和33年)7月に市制を施行し現在に至っています。